15年目の3,11

2026年3月11日

カテゴリー「3,11からの伝言」に「震災後のフッ素洗口」、カテゴリー「子どもの歯と健康を考える会」に「致死量の医薬品を家庭に?」をUPしました。

この日がなかったら、どんなによかったか・・・。
今も家族と一緒に生活していたはずの人、長年住み慣れた故郷でのんびり生活していたはずの人、就職して結婚して子どもを育てていたはずの人・・・。
人生があっという間に変わってしまったあの日。

震災の後、宮城県名取市の閖上中学校に行ったことがあります。
校舎はあの日のまま残されていました。
時計は止まったままで、言葉に言い表せない気持ちを強烈に感じました。

学校の近くに閖上日和山があります。
今はすぐそばに「日和山震しょう記念碑」が立っています。

同じ宮城県の大川小学校では、児童と教職員合わせて84人が津波の犠牲になりました。
東日本大震災で唯一、この学校の養護教諭が犠牲になりました。

東日本大震災も、能登半島地震も、犠牲になったたくさんの方の冥福を心から祈ると同時に、未だ生活を取り戻せないたくさんの方が、1日でも早く復興されることを心の底から願わずにはいられません。