性の学習をすすめるために

2018年11月15日
カテゴリ:その他

(1)子どもの性を取り巻く実態
 インターネットやSNSの普及で、この十年子どもを取り巻く状況は大きく変わりました。以前は学校や保健室で教員が把握していた様々な性に関する問題が、今は大人の目の届かないところに潜ってしまったり、ごく普通の子どもたちが巻き込まれたりする事件も増えています。また、LGBTQやデートDV、性的虐待といった新たな問題も取り上げられるようになり、教員が十分理解できていない問題に対応を求められるケースも増えています。
 皆さんは、どのくらい子どもたちを取り巻く性の問題を把握していますか。
例えば・・・
  ★「高校生なら恋人がいてもいい」と思っている高校生は、どのくらいいるでしょう?
  ★「高校生の性交は不適切」と考えている高校生は、どのくらい?
  ★LGBTQで悩んでいる子どもは、
             
あなたの学校にはいない?
  
★デートDVが起きているカップルは何組くらい
  ★SNSで自分のプライバシーをさらしてしまって
   いる子は、学級にどのくらいいる?

  ★下着姿の写真を送ってしまった経験のある子は?
  ★手を使って自慰行為ができない男の子は、
   どのくらいいる?・・・etc。

 こんな状況は、私が養護教員になったばかりの40年前は、とても想像できなかったことばかりです。さらに経済格差が拡大する社会の中で、妊娠による中退と貧困が結びつき、それが世代間で繰り返される、という現実もあります。こんなふうに考えると、まさに性の学習は、「生き方の学び」であることがよくわかります。

 にも関わらず、「性教育は寝た子を起こす」「性について学ぶと、性行動に走る」といった主張をする人が今だにいます。「そんなことを言っている場合ではない!」と私は思うのです。子どもたちが性とからだに関する自分の権利を学び、豊かで実りある人生を送るために、性の学習は無くてはならないものであり、学校でそれを提供しないのなら、一体どこが提供してくれるのでしょうか。いたずらに性行動に走らせないために、そして豊かな性と関係性を築く力を育むためにこそ、性の学習は必要なのです。

(2)何を教える?
 性の学習は「人権教育」です。なぜなら性やからだに関することは、私たちの最も基本的な人権だからです。つまり「からだと性は自分自身のもの」なのです。だから全ての人の性やからだに関する権利は保障されなければならないし、性をめぐる生き方は一人一人が自己決定するものです。

 その自己決定のために必要なのは、なんでしょう。私は、科学的な知識と判断基準だと考えています。

 「からだの学習」を性の学習に活かすことで、科学的知識はその場だけの理解を超えた「生きて働く認識」になります。そして、自分や他人のからだの価値、命がここにあることの意味、温かな人間関係の心地よさを感じることで「観」が育まれ、それが判断基準になっていきます。

 ですから、特定の問題行動をとりあげて「してはいけませんよ」と教えるより、自分にとってよりよい関係を構築する力を育むことに重点を置く必要があります。きちんと判断できる力を持てば、問題行動は子ども自身が判断して、避けることができるようになっていくはずなのです。
 
(3)どう教える?
 しかし、効果的な指導にするためには、幾つかの留意点もあります。最初に性の学習は人権教育、と言いましたが、そうであるからには、全ての子どもたちが尊重されるような内容でなければなりません。画一化された価値観や、「隠れたカリキュラム」には、十分配慮する必要があります。そこで、私が指導を構成する際に気をつけていることをいくつかあげてみます。

 

 


① 科学的な事実を伝え、その中から子どもたちが感じとることを大切にする。

 かなり以前のことですが、ある先生の性の学習の授業を見せていただいたことがあります。その中で受精について説明する際、その先生は「たくさんの精子の中で健康で丈夫な精子が競争をくぐり抜け、卵子と一緒になって命になった。君達は選ばれた命なんだよ。」とおっしゃったのです。思わず、「う~ん」とうなってしまいました。

 こんな説明をしたくなるこの先生の気持ちは十分わかりますが、科学的に正確な情報であるか、という観点で見なおすと、この説明はどうなのでしょうか。

 確かに精子は正常な形態をしていないものが多く、そういった精子は、卵子にたどり着く確率は低いかもしれません。でも全くないわけでもないのです。しかもそれは、「競争」とか「協力」と言えるようなものなのでしょうか。「選ばれた」とすれば、誰が(何が)選んだのでしょうか。
 そう考えると、この説明はやはり科学的な事実、という枠から外れてしまっている部分がある、と言わざるを得ません。

 子どもたちに伝えるのは、あくまで科学的な事実だけで十分だ、と私は思っています。これは、この40年間の実践の中で、子どもたちから教わったことです。子どもたちは、その事実の中からいろいろなことを感じとってくれます。私たち指導者は、子どもたちの感性を信じ、より子どもたちが理解しやすいよう指導過程や教材を工夫していけばいいのです。なんと言っても人間のからだって、本当に見事にできているんです。からだのしくみ、特に命を育むしくみはよく「神秘的」と言われますが、「神秘的」に見えるほど「合理的」なのだと私は思っています。

②多様性を前提にする
 言うまでもなく、子どもたちの有り様やその環境は多様です。例えば家族の形態や保護者との関係性一つをとってみても様々な状況があることでしょう。もしかすると家族が全くいない環境で生きている子どもがいるかもしれないし、虐待を受けている子どももいるかもしれません。

 さらに子ども自身の有り様も様々です。30人学級であれば、1人はLGBTQの子どもがいる、と言われていますし、発達障害を持つ子も増えているのが実情です。

 さて、そんな子どもたちを目の前にして気をつけたいことは、「多様性の尊重」です。いろいろな子どもがいる、ということを前提に、どんな子どもでもその人権が尊重される指導を構成する必要があります。

 例えば、よく行われる「保護者への感謝の手紙」は、虐待されている子どもにとっては苦痛以外の何ものでもありません。逆に保護者に「妊娠中の様子」を書いてもらうと、実子でない親は嘘を書かざるを得なくなるかもしれません。「男の子、女の子」といつも男性が先に来る言い方も、男性優先のイメージに繋がる「隠れたカリキュラム」になることがあります。黒や青で男性を、赤やピンクで女性を表現するのも同様です。そもそも世の中には男と女しかいない、と考えるのも、事実と違っています。恋愛を男女間に限定するのも、同性間の愛情は異常、という印象を持たせかねません。「男らしいからだつき、女らしいからだつき」も、「そうならなかったら異常なの?」と不安に思う子もいます。

 指導過程を構成するときは、固定的な価値観にとらわれず、様々な有り様を前提にする必要があるでしょう。どんな子どもも否定されない、傷つけられない内容が必要なのです。

(3)命はなぜ大切なのか。
 「君はかけがえのない存在」ということを伝えるとき、その理由をどう説明したらいいのでしょう。
   前述のような「競争をくぐり抜け、選ばれた命」だから大切なのでしょうか。これは、科学的に正しいとは言えないことはすでにお話ししました。親が愛情を持って育てたから大切なのでしょうか。では、親が育児を放棄したり、施設で育った人は大切ではないのでしょうか。そうではありませんよね。どんな環境に育っても、親の愛情がどの程度のものであっても、命の価値には変わりはないことは、皆さんご存じです。では、なぜ命はかけがえのない存在なのでしょうか。

 たくさんの失敗を重ね、命ができるしくみを学び、そしていろいろな人の意見を聞いて私がたどり着いたのは「君は、この世にたった一人しかいない存在だ」という理由でした。「そんな、当たり前のこと・・・」と言われるかもしれませんが、その当たり前に聞こえることが、いかにすごいことなのかを、多くのことを学ぶ経験を通して、今の私は強く実感しています。

 たった一組の精子と卵子の奇跡のような組み合わせが、私たちの目の前にいる子どもたちなのです。その事実を、自信を持って子どもたちに繰り返し伝える場が、性の学習だと考えています。

(4)仲間と学ぶことの意味
 中学校では、授業以外にも保健室で性についての相談や指導をすることがたくさんあります。特に授業をすると、子どもたちは「ミルミル先生なら聞いてくれるかも・・・」と思ってくれるらしく、いろいろな体験や相談を持ち込んできます。もちろん個別の指導では、その子の考え方や価値観にできるだけ沿った話をし、理解してもらえるように工夫するのですが、中にはどんなに言葉を尽くしても納得してくれない子もいます。

 ところがそんな子どもたちが、納得できなかったテーマの授業を受け、友だちの意見を聞いているうちに考えが変わってしまった、という体験をたくさんしてきました。さっきまであれほど「止めた方がいいよ」というわたしの言葉に「大丈夫だよミルミル先生、そんなことにならないから。」といっていた子が、授業が終わった後に保健室にやってきて「先生、わたしやっぱ止めるね。みんなの意見聞いてたら、その通りかなって思えてきたから」と、あっさりと言って帰っていくのです。

 やはり、仲間との学び合いの力は絶大です。学校教育の中で性の学習、つまり生き方を考える時間を持つことの意味は、こういうところにあるのだと思います。