中学生の集団避難

2024年1月18日

応援メッセージです。

この度の能登半島地震で被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。私も養護教諭として働いているので、子どもたちや教職員の皆さんのことを心配しています。お力になれることがあったら、微力ながら山形から支えたいと思っています。

山形県教職員組合養護教員部長   日下部 左和

 

石川県では、中学生が二次避難として、家族と離れて先生方と一緒の集団避難が始まりました。
阪神淡路大震災の時も、「震災疎開」と言われる1ヶ月程度の集団避難が行われたそうですが、3,11の時はここまで大がかりな中学生だけの避難はありませんでした。

では、学校再開まで、東北の子どもたちはどうしていたのでしょうか。

3,11は3学期終了間近に起きました。ですからすぐに春休みに入ります。
約1ヶ月の間、学校はお休みで、その期間に学校再開の準備も行われました。

しかし逆に、避難所になった学校の数は、今回の地震の何倍もありました。避難所生活も何ヶ月にも及び、福島県は、被災地域によっては住民全員の広域避難をしていたこともあって、学校が再開されるには大きな問題もありました。

しかし、そんな状況にも関わらず、春休みを終えた4月下旬に再開した学校もたくさんあったのです。

校舎が使えない学校は、近隣の学校に間借りしました。小学校の校舎の一部に中学校の教室を作ったり、逆に中学校の特別教室が小学校の教室になったり、校庭にプレハブの校舎を作ったり・・・。もちろん、転校していった子どもたちもたくさんいました。
残った子どもたちも先生方もその多くが、それぞれの家庭から通学、通勤しました。
3,11の時は、「子どもと親を離してでも学力を保障する」という発想はありませんでした。

今回の中学生だけの集団避難が、どのような結果を招くのか、誰にもわかりません。

でも、中学生と一緒の生活を長年経験してきた養護教員の立場からみると、心配なことがたくさん見えてきます。

普段の学校生活の中でも様々な問題が起きるのに、震災のあとの不安定な精神状態を、24時間先生方がサポートするのは可能なのでしょうか。今回の避難では3つの中学校の子どもたちが、2つの施設でそれぞれ100~120人で集団生活をするようですが、そこに参加する先生は各10人だそうです。つまり1校から3人前後しか行かない、ということです。

カウンセラーの配置は「検討している」状況で、きちんと確保しないままのスタートです。
そのカウンセラーも、3,11の時はうまく機能しないケースもあり、「いればいい」という訳ではなかったようですが・・・。

医療関係者は常駐してくれるのでしょうか。せめて看護師さんはいるのでしょうか。
普段は体調不良が起きれば保健室で休養した後、回復しなければ家庭に帰し、家庭で看病を受けることになりますが、集団避難では24時間先生方が面倒を見ることになるのですよね。感染症も心配です。
子どもも先生方も大丈夫でしょうか。行政はそこをきちんと手当てしてくれているのでしょうか。

また、中学生の実態もわかった上での配慮もされているのでしょうか。
子どもたちは、おとなしい模範生ばかりではありません。発達障害の子どももいるし、やんちゃな子どももいます。一緒に生活する子どもたちやわずか10人の先生方に、大きな負担がかかることだって考えられます。
そんな時はどうするのでしょうか。

「友達に会えるのが楽しみ」と言って参加する子どもたちは、友達と一緒の生活を楽しむでしょう。お互いの心の痛みを分け合って、癒やしあえるかもしれません。でも、そういう子どもたちだけではないことも考えなければなりません。

集団避難に付き添った先生方は、きっと必死に頑張るでしょうね。自分も被災者で、例え家族が避難所暮らしで苦労していても、子どもたちの世話で睡眠時間がなくても、自分自身が被災して精神的に傷ついていても、文句も言わず頑張るでしょう。

本当にこの方法しかなかったのか、もっと別な方法を考える余地はなかったのか。
集団避難する子としない子を、分断する結果にならないでしょうか。
何でもかんでも「非常時だから仕方ない」でいいのでしょうか・・・・。

そんな疑問と、集団避難をした子どもたち、しなかった子どもたち、そして先生方を心配する気持ちは、大きくなるばかりです。