被災地からの転入生

2024年1月23日

応援メッセージです。

被災地で、養護教員として奮闘されているみなさまに心より敬意を表します。養護教員は、マネジメント力も高く、共感する力も高いので我が身を顧みる暇もなく力を尽くしていらっしゃるのでは…と心配しつつ、心を痛めております。大阪からも、仲間たちが微力でもできることをしたいと思っております。
ご無理なさらず、いつでも仲間のわたしたちを頼ってください。そして、どうかどうかご自愛くださるようお願いいたします。

大阪府教職員組合養護教職員部部長 津田 達子

 

石川県の仲間から、こんなメールが届きました。
「被災地から石川県内の被害が少なかった地域の学校に、子どもたちが転入してきていて、それを受け入れています。その子どもたちに、どんな配慮が必要なのか知りたいです」

3,11の時、被災地から転入してきた子どもたちは実に様々でした。どのような被害を受けてきたかにも影響されていたようです。例えば福島の子どもたちは、原発事故の影響を受けていたし、宮城や岩手からの子どもたちには、目の前で津波を見ていた子どもたちもたくさんいました。

当然ですが、子どもたちの反応も様々でした。

保護者の名前を聞いただけで涙ぐむ子、大きな音がするとビクッとする子、避難訓練でパニックになり泣き出したり暴れたりする子、親のそばから離れなくなった子、そして、何事もなかったかのように元気に過ごす子。

家族の状況も様々です。親と一緒に避難している子、親とは離れ祖父母と暮らしている子、兄弟だけで親戚に預けられている子、二次避難所にいる子。

転入してきた子どもたちは、震災前どのような性格だったのかが把握できないため、その対応に迷うことがあると思います。

3,11の時、養護教員たちは、一人一人の状況に合わせて対応していたようです。それはもちろん子ども一人一人の状況に、ということもありますが、家族とも繋がりを持ち、家族との連携を含めた個別の対応を進めていきました。

基本は、やはり「無理せずに、子どもや親に寄り添って」です。
そして多くの養護教員や教員が、転入してきた子どもたちが新しい学校の環境に慣れやすいように配慮し、でも特別扱いはせずあくまで自然に触れあう機会を増やしていたようです。

3,11の時は、福島から避難した子どもたちが「放射線がうつる」等と言われ、いじめに遭う、という事も起きています。こんな事は何があっても防がなくてはいけません。

事例を1つ紹介します。

3,11は卒業式の数日前におこりました。震災後、家族と一緒に小学校6年生のAさんは、隣県の親戚が住む地域に避難しました。もともとの小学校で卒業式が行われる可能性はなかったため、Aさんと周囲の大人は、避難先の親戚が通学していた小学校に
「卒業式を見学させて欲しい」
と申し入れました。

学校側はその希望を受け入れ、Aさんは保護者席に座って卒業式を見守りました。自分はもう参加することができない、被災したもとの学校の友達のことを思い出していたのかもしれません。
その後、Aさんを受け入れた学校の先生方の発案で、達筆な筆字で手書きされた「卒業証書」がAさんに手渡されたそうなのです。


卒業証書は、きっともといた学校からも後日届いたのではないかと思います。しかし、少しでも小学校卒業という節目の喜びを味わって欲しい、と願った先生方の思いも伝わってくる事例です。