今、子どもに必要な力は何か

2024年2月1日

応援メッセージです。

今回の災害により大変な状況に見舞われている被災地の皆様、どうぞご自愛ください。一日でも早く日常が戻りますように。休息をとって体調を崩さないようにしてください。応援しています。

三重県 養護教諭 中西久代

 

今日は、数見隆生著「子どもの命は守られたのか」(かもがわ出版)から紹介します。

数見先生のことは、このHPでも何度か紹介しています(理論編のカテゴリー参照)が、3,11の時は、ちょうど宮城教育大学での長年の教員生活を終える準備のために、大学の研究室にいらっしゃったそうです。
その後、宮城県内やかつての教え子の勤務先を訪れ、被災地の状況を上記書籍にまとめて出版されています。

震災から4ヶ月ほど経ったある日、数見先生は宮城県内の行政のトップの方から、こんな話を聞いたそうです。

「震災後の今、学校と教育の課題は何か」という質問に「他県と比べて学力が低下することの心配」と「日常生活が不安定になり、心が荒れて非行的行動が多くなるのではないかということの心配」の2つの心配がある、という回答をしたのだそうです。

数見先生は「これだけの被災があり、国を揺るがす事態になっても上のほうでは未だそういう発想をするのか、と思ってしまった。」と本に書かれています。

「相変わらず『右肩上がりの教育』を志向し、そのための学力観から抜けられず、そうした『正常化』のために足かせになる『子どもたちの荒れ』を心配し、対策を講じようとしているのか、と。」

「子どもたち(思春期・青年期の若者も含め)にはこの震災を契機にして『心の緩み』をみなおしたりし、『自分の生き方』を問い直したりする状況がかなり広がった面がある。家族を失い、家を流され、親の職業さえ亡くした子どもたちに、『心の荒れ』を心配する前に、何を支援し、励ますのか、そして被災した現地を生きる未来の子どもたちにどんな学力・どんな生きる力を育てるのか、そういった模索こそが求められているのではないか。」

中学生が集団避難をすることをマスコミで取り上げた際、「学習権は子どもの権利だ。どんな時でも保障されるべきだ」と、どや顔でおっしゃる解説者がいましたが、それは、本当に「今すぐ」必要なことだったのか、私は今も疑問を抱えたままです。

もちろん、早ければ1月中に始まる受験を目の前に控えた中学校3年生にとって、落ち着いて学習できる環境は必要だったでしょう。その結果が人生を左右することもある・・・それは否定しません。
3,11の時は、宮城県の公立高校入試は、すでに終了していたのも事実です。

今回の能登半島地震での中学生集団避難の裏に、学力低下を心配する行政の意向は、本当になかったのでしょうか。

中学生は、故郷がどんなに大変なことになっていようが、家族が大変な思いをしていようが、勉強さえしていればいいのでしょうか。学力だけが、人生で大切なことなのでしょうか。
今回の集団避難は、何があっても学力第一、というイメージを子どもたちに与えてしまっていないでしょうか。

少なくても「何があっても学力第一」「何があっても学習権保障第一」の発想は、これまで多くの養護教員が目指してきた方向性とは、同じではないような気がしています。私の勝手な発想かもしれませんが・・・。

集団避難があってしばらくして、避難しなかった同じ中学校の子どもたちも、被災地で学校が再開され、そこでは心のケアを中心に、残った先生方が子どもたちと一緒の生活をスタートさせています。
3,11の時も、学校現場が第一に考えたのは、子どもたちの心のケアでした。

そんな中、被災地に残ったある中学生が、マスコミのインタビューに答えてこんな話をしたのです。

なぜ集団避難しないのかと問われたその中学生は

「今は勉強が一番じゃない。勉強より他に、今、必要なことがある。」と答えたのです。

こんな中学生が、これからの能登の未来を作っていくのでしょうね。