3,11のあの日・・・(後編)

2024年2月5日

応援メッセージです。

心よりお見舞い申し上げます。
自らも被災者、という方もいらっしゃるかもしれませんが。被災地域での復興や支援活動において、様々な責任を担っている立場にいる方もいらっしゃるでしょう。

私も過去に避難所の運営側の経験をしました。短期間でしたが、短期間だったのに実に実に難しさを感じました。だからこそ、そのご尽力に心から尊敬と感謝申し上げます。

もしかしたら、かなりの割合で自らも被災しながらも、その職責を全うし、地域の方々の支えとなっていらっしゃる可能性があるかと思います。メディアで拝見するしかありませんが、たくさんの苦戦困難もあるはずと思っています。同じ養護教諭として、様々なご尽力に深い尊敬の念を抱いています。どうか、安全に留意しながら、力を合わせて前に進んでください。

実際の苦しみ痛み辛さは、当事者の皆さま以外はわかりません。失礼ご無礼はお許しください。
しかし、東日本大震災を経験している一人として、わずかながら気持ちがわかります。

「明けない夜はない」「止まない雨はない」幸せは途切れながらも続くのです。

偉人の言葉やミュージシャンの歌詞は、意外にもいい言葉がありました。

心より、応援しています。

山形県 養護教諭  星川 裕美

 

昨日は「炊き出しにサプリメント」の報道を受けて、緊急にそのことをお伝えするため「養護教諭 北さん」の体験談後編を後回しにしてしまいました。北さん、待っていてくださった方、ごめんなさい。

では、続きをどうぞ

 

「学校が再開してからも、避難所は1階、児童は2・3階で生活していました。

お祭りや音楽会等で披露している合唱を聞かせたとき、感動して喜ぶ避難者の姿を見て、生き生きとした目になった子供たちの顔は今でも忘れられません。

原発事故の避難で、転校してきた子供たちへの学用品や衣類の手配、学級での配慮など職員間で話し合い対応しました。放射能の被爆から子供たちを守るために何が出来るか、学校生活での注意点や制限は?について、少ない情報をもとに話し合いをしたり、近隣の学校と情報交換をしたりしました。

養護教諭の間でも情報を得るため、研修会や講師を招いて講演会を実施しました。学校医も放射線についての情報を集め、論文を探し、学校保健委員会で話してくれました。見えない放射線・乏しい情報・行政からの指示を受けての対応と日々手探りな状態でした。養護教諭としての意見を求められても返答に困ることも多々ありました。

なんとかこの困難を乗り越えられたのは、市内・外の養護教諭とのつながり、学校職員のチームとして対応できたからと思っています。

能登半島地震から4週間、地域によってはまだ、復旧のめども立たず、不安と疲労とで大変な思いをしている方もたくさんいらっしゃると思います。少しでも早い復旧・復興と養護教諭の皆様の心身の安定と子供たちの笑顔が戻ることを祈る毎日です。」

養護教諭 北さん より