家族の分断

2024年2月15日

応援メッセージです。

東日本大震災のとき、ボランティアとして福島から避難してきた皆さんのお世話をしたことがあります。体育館にたくさん人がいるのに、全体が静まりかえった、落ち込んだ光景を今でも思い出します。どんな声をかけても無駄なような気がしていました。でも、周りの人はみんな、心の中では応援しています。頑張りましょう。

山形県 養護教諭 N・M

 

かぜをひいて、3日ほど寝込んでしまいました。普通に生活していても体調を崩しやすい時期、被災地の皆さんが心身共に溜め込んでいる疲れは計り知れません。少しでもいいから、休んでくださいね。

今回の能登半島地震とは違い、3,11の時は原発事故という取り返しのつかない事象がおきていました。応援メッセージを寄せてくれた仲間のように、山形には福島からたくさんの方が避難してきました。

最初は家族みんなで避難してきていたのですが、除染等が進むにつれ、母親と子どもが山形に残り、父親だけが仕事をするために福島に住む、という家庭が増えていきました。

原発事故で大気中に放出された放射性物質の影響は、子どもに大きな健康被害を引き起こします。事実、福島では「甲状腺癌」が見つかった子どもたちがいるのです。

そのため、多くの親は、子どもたちに放射性物質の影響が少ない土地で暮らさせたい、と考え、母親と子どもが山形に住み、仕事をして生活を支えるために父親は福島に帰り、家族が分断されて生活をする、という状況が生まれてしまったのです。

山形に残った家族のうち、母親は毎日の生活を送るのに精一杯だった人がたくさんいました。当然ですよね。慣れない土地、雪も福島に比べればたくさん降ります。必要な日用品や家具の手配、様々な届け出などを一人でこなさなければならなくなります。

ここまで説明すれば、養護教員の皆さんなら子どもたちにどんな変化が起きるか、想像がつきますよね。そうです。「これ以上母親に心配かけてはいけない」と考えて、子どもたちは我慢に我慢を重ねるようになっていきます。

また、多ければ週に1回、少ないと月に1回くらいしか会えない父親が山形にやってきて、楽しい時間を過ごした後、福島に戻ってしまう父親との離別に影響を受ける子どもたちもいました。
月曜日は元気がなく体調不良を訴えたり、ちょっとしたことで涙ぐんでしまったり、登校したがらなくなったり・・・。

場合によっては、放射性物質に関する意見の食い違いから、両親が離婚せざるを得ないケースすらありました。

3,11が壊したものは、人の命や建物だけではないのです。

 

2016年11月に、ミルミルは福島県南相馬市を訪れたことがあります。南相馬市自体は復興が進み、人が普通に住める場所でしたが、そこに行くまでの経路に放射性物質の汚染による「立ち入り禁止区域」が含まれていました。この日はバス移動でしたが、「立ち入り禁止区域」に入る手前でバスは一度休憩し、その後「窓を開けないでください」と運転手さんの注意を受けて、再度出発しました。

窓の外に広がるのは、他の地域とは何ら変わりのない森や田んぼ、民家です。おうちの中からは今にも誰かが出てきて、庭先で会話をしていそうな光景が、そこにはありました。
3,11の直前までは、ここでごくごく普通にたくさんの人が暮らしていたはずなのに・・・と思うと、涙が出て止まりませんでした。

能登半島地震でも、志賀原発でトラブルがあったようですが、もしこれが最も被害の大きかった珠洲市にできていたらどうなっていたのでしょうか。考えたくもありません。でも、考えなければいけないのです。日本は地震列島。その上に、数多くの原発が乗っかっているのです。