ワクチン接種

2021年6月8日

コロナワクチンについての「からだのおしゃべり」をアップしました。
小学校高学年用と中学生用の2つです。

ワクチン接種と聞くと、どうしてもかつてのインフルエンザの集団接種を思い出してしまいます。
わたしも現役時代の前半は、学校でインフルエンザの集団接種に関わっていました。
「集団で生活するのだから、接種は当然よ。」
などと、とんでもないことを平気で生徒達に言っていました。
当時のみなさん、わけのわからない誤った発言、本当にごめんなさい!
もし目の前にいた生徒達に、大きな副反応事故がおきていたら、と考えると、今でもやり切れない気持ちでいっぱいになります。
言い訳をするのではないのですが、当時現場の養護教員達には、インフルエンザのワクチンに重大な副反応があることは、一切知らされていませんでした。
しかし、当時の関係者は、そのことを知っていたようです。
集団フッ素洗口反対活動の中で、とある行政関係者が、
「インフルエンザワクチンに重大な副反応があることは、最初からわかっていた」と発言したのです。衝撃でした。会場にいた教職員は、一斉にざわつきました。
全国で副反応の犠牲になった子どもたちと保護者が裁判を起こすに至って、ようやく現場の養護教員がその危険性を知り、様々な分野の人たちと連携した運動の結果、学校現場での集団接種は中止されました。
それまでの間、どれだけの小中学生が、副反応の犠牲になったことか・・・。
当時と今とで一番の違いは、副反応があることが、最初から公表されていることです。
そして、それに対処できるような対応が準備されていることです。
一方で、学校で集団接種をすることで、子どもたち一人一人のプライバシーが公表されてしまう危険性については、未だ解決の方法が示されていません。「簡単だから」「親の手を煩わせないから」という理由で、安易に学校での集団接種を行えば、誰が接種し、誰が接種しなかったか、という情報が丸見えになってしまいます。そしてそれが、差別やいじめという新たな問題を生んでしまわないとも限りません。これでは、本末転倒です。
学校での集団接種を実施するのであれば、接種の有無というプライバシーが、完全に守られる方法で実施されることは、最低条件です。

「ワクチンは、他人のためにするものではない」と私は考えています。自分自身が、病気から逃れるために行うもの。そして学校は、中立の立場でワクチンを語るべきだと考えています。子どもたちの知る権利、選ぶ権利を守り、科学的な情報を提供する・・・そんな目線で、「からだのおしゃべり」を作ってみました。