「生きて働く認識」にする

2018年6月27日
カテゴリ:理論編

 「1,からだの学習との出会い」でお話ししたような「先生の説明はわかったけど、それだけ」は、なぜ起きるのでしょうか。数見先生の理論に出会い、多くの養護教員仲間をはじめとした様々な方からの教えを聞くうちに、その問題の原点は、子どもたちの「わかった」にあるのではないか、とわたしは考えました。

 数見先生やその研究仲間の皆さんの実践を見ると、授業の中で教師が長々とからだの仕組みやその大切さを説いている場面がほとんどありません。授業の中心になって、持っている知識や経験を活かし喧々学学の議論を展開しているのは、子どもたちなのです。その結果、子どもたちは様々なことに気づき、納得し、変化していきます。つまり、子どもたちの「わかった」の質が大切だということです。

 子どもの思いや感覚が揺さぶられ、「なあんだ、そうだったのか」と納得したり、「すごい!そんなふうになっているのか」と驚いたり、「誰がそんなふうに作ったの?」と不思議に思ったり、「うまくできているもんだ」と感激したりする、といった内的変化を伴った学びの質の深さがあればいいのではないか。新しい発見があったり、これまで経験的に考えていたことを打ち砕くような驚きがあったり、感動したりする指導が、「わかった!」という実感を子どもに持たせ、意欲や意思を形成し、実行に向かう姿勢を形作るのではないか。そんなふうに、わたしは考えました。
 

 数見先生は、知識がわたしたちの意欲や行動につながる場合、それは単なる「知っている」という程度のものとは違う、「生きて働く認識(自分の現実や課題と結びついた知識=納得知)」である、としています。そして、「生きて働く認識」にするには、「学びの質」が重要であることも示唆しています。

 この考えに基づくと、やはり今までのように養護教員が一方的に説明をするだけでは不十分だということがわかります。子ども自身を学びの主体におき、子どもたち自身が考えたり、疑問を持ったり、悩んだりしながらその中で内的変化を引き出していくことが必要なのです。そして「すとん!」と腑に落ちた「わかった!」を何度も繰り返し体験させていくことで、「生きて働く認識」が形成されるのだろうと考えたのです。
 
      参考資料   数見隆生著   「教育としての学校保健」  (青木書店)
                            〃     「教育保健学への構図」   (大修館書店)
                    「健康の認識を育てる」