被災者としてのジレンマ

2024年1月26日

応援メッセージです。

神奈川県の養護教諭です。
今回地震の被害にあわれたすべての方に心よりお見舞い申し上げます。
まだまだ通常の学校生活を行うことが困難な方々もたくさんいらっしゃると思います。自分自身のこと、ご家族の安否も不安な中、きっと養護教諭の皆さんは児童生徒のために心を痛め、精一杯活動していらっしゃると思います。ぜひ、先生方ご自身の安全の確保と健康も大切にしてください。

 

今までの応援メッセージに「養護教員自身の健康」を心配する声がたくさんありましたが、今子どもたちと向き合っている養護教員の皆さんは、子どもを癒やす存在であると同時に、「被災者」つまり自身も被害を受けている方たちです。

3,11の時はどうだったのでしょう。数見隆生著「子どもの命は守られたのか」(かもがわ出版)に、こんな体験談が載っていました。

「私自身はつらかったのは、4日目ですね。一時帰宅してもいいと言われて帰ったんですが、家族の無事を見るだけで避難所に帰ってきました。1時間とか2時間しか眠れない状態が続き、疲れ切っていました。校舎内で泣き叫んでいる子どもの声が自分の子どもの声に聞こえてしまって、『自分の子どもも泣いているだろうなあ』と思ったり複雑でした」

「2週目は、身体的な疲れから、いつも血圧は100くらいなのに、150近い状態でした。この血圧計は壊れているんじゃないかと思いました。自分が疲れているか疲れていないか、自分では全く自覚できていない状態でしたが、その時に自分は疲れているんだと、ようやくわかったのです。」

以前も説明しましたが、3,11の時は授業日だったため、先生方はそのほんとどが学校にいて、そこに地域住民が避難してきたため、そのまま避難所の運営に携わらざるを得ない状況になりました。
家族の無事を確認する方法もなく、家族に無事を知らせることもできず、何日も自宅や家族の元に帰れなかった人がたくさんいたのです。

実際に3,11や能登半島地震のような災害に自分が遭遇したら、養護教員としての役割と、家庭人としての役割をどう使い分ければいいか、誰でも不安に思うことです。
3,11の時は、避難所の運営だけでなく、医療従事者と同様の役割を求められる経験をした養護教員もいます。

「自分がその立場になったら、どうしたらいいのだろうか。家族と仕事、どうやって両立させればいいのだろうか。医療行為を求められたら、どうしたらいいのか」

答えは、ありません。だからこそ、みんな不安に思うでしょう。

でも、あの時被災地にはたくさんの人たちが支援に入り、学校現場にも教員や養護教員の支援者がいっぱい入りました。同じ被災者である職場の仲間と支え合って、辛さを言葉にして聞いてもらって、助け合いました。
何かあったときは、助けてくれる人、支えてくれる人がきっと現れるのではないでしょうか。

東日本大震災のあと、いまだ復興とはほど遠い地域もあります。福島県の一部地域のように、もう帰れない場所になってしまったことろもあります。津波被害のあった地域でも、家を建てることが禁止された場所もあります。震災の前と同じように・・・・にはならなかった場所が、たくさんあります。

それでも、3,11から13年。新しい毎日が始まっていることは確かです。
能登半島地震の被災地にも、きっとやがてそういう日がやってくる・・・そう、間違いなくやってきます。